トピックス

寿命の変遷

 右欄の本文で未来の長寿に伴う問題を私の想像を交えて書いた。そこで、本欄では過去の私達の寿命について調べてみた。
 ネットで調べると、ある慈善団体の資料では縄文時代は30才で弥生時代は31才など妙にこまかい数字があるが、これは何らかの意図があるようで信用できない。
 寿命については諸説あるが、信頼出来る多くの説は300年程前までは平均寿命はおよそ30才前後であったようだ。おそらく農業が始まる2万年前の狩猟時代までは、人の平均寿命はもっと短かったであろう。
 さて、300年前と言うと産業革命が始まり、社会は豊かになりだした。この豊かさが40才代への寿命の延長をもたらすようになった。やがて19世紀末にロベルト・コッホが細菌学を打ちだして、20世紀に入りペニシリンの発見により感染症を制御できるようになり、70才までの平均寿命が可能になった。
 日本でも同じ傾向があったが、西欧諸国よりやや低い平均寿命であったようだ。
 ところが、戦後70年経った現在では、日本では男女ともに寿命は80才を超えた状態になった。
 私が生まれた頃は、望まれるのは人生50年であった。それからたった80年後での現在では、100才を超える方も珍しくない時代になっている。
 これがどれほどの進歩なのかを考えてみよう。ある学者の論文によると、日本史の出発点である縄文時代の平均寿命は14才程度であっただろうと推定している。それが一万年後でも30才までである。それが100年足らずで寿命は80才代になり100才も珍しくなくなった。これは驚きである。歴史上の奇蹟であろう。私達はそのような時代に生きているのである。

( おことわり )寿命という単語をあいまいな意味で使いました。ここでは平均寿命の意味で使っています。平均寿命とはグループ全体の寿命です。分かりやすく、ある日の30才と0才の2人のグループなら平均寿命は30+0を2で割りますから、15才になります。この縄文時代の乳児死亡率は3割以上だったので、平均寿命が短くなるのです。

衛藤順子さんへのお礼

 本月報も今月号で389号になります。始まりがあれば残念ながら終わりがあります。この月報の9号から衛藤さんのスケッチが掲載され今月号まで30有余年にわたり途切れることなく続きました。この方のスケッチは軽妙で多くの皆さまのご好評を得ておりました。東京のさる有名な医事評論家の先生からは「お前の文章 はどうでもよい。衛藤さんのスケッチは楽しい」とまでのお誉めの言葉もありました。
 その衛藤さんのスケッチが今月号で最終号になります。衛藤さんは私と小学校の同級生なのでご高齢になっておられ、多少視力が不自由になられました。
 この方のお言葉によると本月報のために世界の各地を旅してスケッチされた由。国内はもちろん中国やタイなどの風景や人物像、社会生活などさまざまなスケッチをいただきました。特に中近東やエジプト、天山山脈を越えて、さらに西側のカザフスタン等までも旅をされて、私のためにスケッチを送ってくださいました。この方の特技は音感にすぐれていることです。現地の言葉を数回CDで聞くと旅行先では不自由せずに運転手にも話かけるのでガイドが慌てることがしばしばあったようです。現地の人に話かけ て穴居生活の住宅まで案内されています。
 私と衛藤さんは昭和21年9月の2学期が始まるときに、鹿児島の片田舎の小学校5年ロ組へ同時に転入してきました。それ以来のお付き合いです。彼女は学習能力が優れており、さらに音楽や絵画が秀でていました。私は今でも校舎の屋根を書いた彼女の絵を鮮明におぼえています。したがって卒業時の5年生の送辞は衛藤さんでした。たしか卒業時の答辞は私であったかと思います。民主主義がどうのこうのと書いて、父から徹底的に修正された覚えがあるからです。
 その後、中、高、大学は別でしたが、私が医院を開業するに当たってセールスに来られたのが、衛藤さんの弟さんという縁でつながりが再開することになりました。そして私が折田医院月報の発刊を始めたのですが、文字だけでは寂しいと思い、衛藤さんにスケッチをお願いしたところ快く引き受けてくださり、そのための幾多 の旅行までして今月号までスケッチを続けてくださいました。
 先ごろ掲載した「そのとき、私は10 才でした」という連載スケッチはドイツでも発刊されたとのことです。
 30年以上にわたりスケッチで誌面を飾ってくださったことに心からのお礼を申しあげます。

大人が風疹にかかると?

 かつては風疹という病気は子供の時代の通過儀礼みたいなもので数日で治るものでした。
 ところが大人がこの病気にかかるとまるで様相が違います。先日の夕診に高校の先生が来院されて「今、学校で数人の生徒が風疹にかかっている。風疹にかかった記憶がないので抗体を調べてほしい」との要望です。結果は風疹にはかかっていないとの報告でした。さて、この先生が生徒から風疹が感染したらどうなるでしょう。まず38度を超える高熱が生じます。首や耳の後ろのリンパ節がはれてきます。そして全身に紅いこまかな発疹が出てきます。この場合は10日程前に風疹の患者さんと接していたら、先ず風疹と考えてよいでしょう。そのような接触歴がなければ大人の場合は発熱、リンパ節腫大、発疹等が出て子供のように簡単に診断がつきません。このような症状の出る病気がいくつかあるからです。また、患者さんを看ると子供の場合はケロッとしていますが、大人の場合は重症感があります。多くの場合は10日もすると解熱して元気になります。そこで血液検査をすると風疹抗体が上昇しているので風疹だったと診断が確定します。
 今、関東地方では風疹が流行しているようですが、最近では私は滅多に出合う病気ではありません。高校生までに麻疹・風疹のワクチン接種が行われるようになったからでしょう。
 今年の流行の中心は子供ではなくて30 才代の大人です。この年代の人は風疹ワクチン接種が途絶えていたのでしょう。日本人はワクチン接種を何らかの理由をつけて拒否する傾向があるようです。
 さて問題は30才代が中心となると重大な問題が生じます。最近の傾向では高齢出産が普通のことになりました。すると妊娠中に風疹にかかると胎児が先天性風疹症候群を持って生まれる可能性があります。障害としては心疾患、難聴、視力障害などさまざまあるようです。女性の場合は妊娠前に抗体検査をしておくことが望まれます。
 さて治療です。残念ながらありません。対症療法のみです。熱に対しては解熱剤や水分補給(場合によっては点滴)。発疹に関しては経過観察です。幸いに数日で発疹は消えるようです。
 最後は愚痴です。本来は子供の通過儀礼で軽くすんだ風疹が、ワクチンが施行されなくなった30才代の大人への復讐をしているのでしょうか。

運動はほどほどに!

 昔は60才を過ぎると老人といわれていましたが、現在では60才から70才代までは元気そのものです。この傾向は女性にめだちます。しかも生活には経済的にも時間的にも余裕が出てきています。
 そこで人々は年をとっても元気でいたいと願って、そのためには日常の運動ということになります。
 ところがその運動をすればよいと信じてジムで泳ぎ、走り、自転車に乗ってジムで半日過ごす人もおられます。私はこの傾向が気になっていました。一言でいえば重労働だからです。トライアスロンなどは危険なスポーツであり、もはや命の危険を伴うものだと考えています。健康の観点からは勧められる運動ではありません。人はもっとゆったりと過ごす方が健康によいことではないかと思うからです。
 その私の考えは間違っていないようです。雑誌「選択」7月号では米国在住の内科医のレポートが掲載されていました。
 その内容を紹介しましょう。
 そのリポートはメイヨークリニックからのものです。メイヨークリニックは世界的にもっとも有名なクリニックであり、ここのデータは信用できると私は思っています。
   それによるとT週間2 時間半の適度な運動群とそれ以下の座って過ごすサボリ群、また一週間に7 時間半以上の運動やり過ぎのガンバリ群に分けて25年間に及ぶ観察結果です。
 その結果によると適度な運動群がもっとも先行きがよかったそうで当然のことでしょう。意外なのは次の結果です。 運動しないサボり群の先行きはガンバリ群よりよかったのです。
 これは私の診療経験とあうところがあります。以前になりますが、60代後半の男性です。引退後、毎日のようにジムに通い水泳2km、自転車1時間漕ぎで約500Kカロリー以上消費、その後1時間ベルトで走るという生活でした。ところがこの方に認知症が生じたと思いましたが、その進行は早くてまもなく運動不能になり施設に入所されました。脳梗塞などの合併症なし。運動が激しすぎると何度か助言しましたが、運動中毒ともいえる人には耳に届かなかったようです。
 私は健康のためには何が良いということはないと考えています。
 何ごとも適度なことが健康な暮らしの基本だと思っています。
 適度な食事、8時間程度の仕事、週2、3回の散歩、しっかりした睡眠などの適度な生活が健康の秘訣だと考えています。
 家庭の勤勉な主婦の生活はこの点では理想的な環境でしょう。

飲酒に際しての常識

 最近、驚くほどの大酒家を診察する経験がありました。アルコールを嗜む人は沢山います。そこで今回はアルコール摂取に際して心得ておくべき常識を考えてみます。 先ず飲んでいるお酒のアルコール度を知ることです。簡単な計算をしてみてください。お酒の容器をみると度数がかかれています。ビールは5 度前後、お酒は15度程度、ウイスキーは50度前後と記されているはずです。度数はその容器に含まれているアルコールの量です。
 分かりやすく夏なのでビールから始めましょう。手元にあるヱビスビール1 本の量は633mlと書かれており、度数は5度と記されています。そうなるとヱビスビール1本の中にはアルコール量はほぼ31mlということになります。ところがアルコールは水分より少し軽いので、比重0.8を掛けると25gほどになります。つまりヱビスビール1 本を飲むと、25gほどアルコールを飲んだことになります。
 皆さんがよく飲まれる焼酎は25 度ですからコップ一杯1合(180ml)飲んだとすると36gのアルコールを飲んだことになります。日本酒1合では純アルコール22g程度の計算になります。
 この計算を行うとアルコール量はウイスキーは50度前後ですからショットグラス1杯80mlとするとアルコール摂取量が40g前後になります。水で割っても摂取アルコール量は変わりません。
 ここまで読んだら皆さまのお飲みになるアルコール量は自分で計算できるでしょう。さて、ここからは教科書的記述です。平成25年に開始されて厚労省の「健康日本21」では男性では純アルコール量は1日40gまで、女性なら20gまでだとされました。
 これ以上のアルコールを摂取すると体に障害が出てくる可能性が高いのだそうです。もっとも的確な検査ではガンマGTPという数値が高くなります。当院の検査では男性では80以上、女性では50以上ならば、既に肝臓が障害を受けている可能性が大きいと考えられます。
 私は診療室では「飲み過ぎ」という言葉を余り使いませんが、ガンマGTPが基準値を超えた方には、その旨を伝えます。
 私の結論はビールなら大瓶1本、お酒なら2合までということでしょうか。女性は男性より肝臓がアルコールに対して弱い。男性なみに飲んではいけません。
 体質からアルコールをまったく受け付けない人が2%ほどおられるようです。決して他人に無理強いしないことを心がけてください。

 どこか知らぬが机の前に私は座っている。そこへ女性の看護師と白い制服を着た男性の2人がやってきた。用件は入院患者の外出許可書への承認である。書類を見ると何も書いてない。これでは承認できないから必要項目を記入するようにと指示してから、それを承諾した。2人は去って行った。その姿を見送ってから私はふと気づいた。病棟の患者の外出許可だから病棟で承認されるだろう。なぜ見知らぬ私のところに許可を貰いにきたのだろう。なにか犯罪の計画でもあるのだろうかと考えて不安になった。ここで目覚めた。そこで、これは夢だったと気づいてホッとした。
 最近はこのような不安を覚えさせる夢をしばしば見る。
 患者さんを人違いして、そのまま診療をすませてしまい、冷や汗をかくとか、誤診をしてそれに気づかずに、後に患者さんの経過を聞いて後悔したなどさまざまな夢である。決して医師になってよかったなどのハッピーな夢を見た記憶はない。
 ここまで書いてきて昔の月報に夢の話を書いたことを思いだした。調べてみると、月報45号(平成2年4月号)にやはり夢の話が書いてあった。この時は大学入学試験時の切羽詰まった夢であった。時計をみるともう時間切れにちかい。しかし答案用紙のあちこちに空白欄がある。これを早く埋めなくちゃと焦りや不安な気持ちになった夢であった。この時は既に医師になって30年ほど経っている。
 夢とは睡眠中の幻覚であるのだろうが、多くは心の中に残っている思いが深い潜在意識の中にあって、夢の中で解放されるのだろう。
 私は偶然の事から医師になってよかったと思っている。3年も高校を休学して、かねての希望のように東大文科2類に合格していれば、今はただの老いぼれ親父になっていただろう。医師になったお陰で80才代半ばになっても社会活動が可能である。
 外見からは私はそれなりの生活が出来ているようにみえる。しかし私の夢は決して幸せなものではない。大学卒業後30年経っても入試の不安な夢をみる。医師になってから50年を経ても相変わらずに不安な夢をみる。医師は現役生活を続けている間は患者さんを相手にする仕事である。他人の人生に深く関わり合っている。その判断や処置が他人に及ぼす幸・不幸と深い関係がある。このような重荷が夢となって現れるのだろうか。とすると現役生活を続けるかぎり平穏な夢をみる機会はありそうにない。

在宅医療とは…訪問看護の重要性(1)

 医療費が国家予算の4 割を超えている現状から、医療費削減のために在宅医療への推進が改めて求められています。在宅医療プロパガンダの殺し文句は「住み慣れたわが家で最後を迎える」です。この地で診療している私にはこの言葉に違和感があります。その違和感の意味合いを考えてみましょう。今回はその導入部になります。
 在宅医療とは入院や外来診療以外の医療の意味です。従って自宅はもちろん施設入所なども在宅の視野に入ります。
 私の基本的な違和感は自宅と施設入所をごっちゃにして、コンセプトの「住み慣れた・・・」とあたかも家族に守られた穏やかで住み慣れたわが家でという印象がプロパガンダに見えます。ここにな んとなく違和感を覚えるのです。
 私の診療現場から、なにが違和感なのかを考えてみました。
 私は多くの高齢者の患者さんを診ております。高齢の方々の中には「最後までお願いします」と頼まれる方も珍しくありません。「私より先生が先に死んではあかん」などとまで言われる患者さんもおられます。
 ところがいつのまにかその患者さんが 来院されなくなる。家庭での看護・介護が不可能になり施設へ入所されたからです。
 このことは所帯(家族構成)が小さくなり、家庭で病める人や老いた人を世話が出来なくなったからでしょう。受診される患者さんも高齢のご夫婦や単身者は多くおられるので、これが社会の実態なのでしょう。
 少子高齢化のわが国では夫婦だけや一人暮らしの小所帯化はますます今後は強まるだろう。そうなるとやむなく家族の手が足らなくなり施設入所がまだまだ増えていくでしょう。
 患者さんにとって家庭と施設は同一の感じだろうか。世話する人が家族か施設の職員では患者さんの受け止め方はまったく違うのではないでしょうか。
 これから施設入所が高齢者生活の主体になると思われる現在に自宅を思わせる「住み慣れた・・・」のプロパガンダはごまかしのような気がします。私の違和感はここにあるのです。
 本来の意味での在宅医療で最後まで診るとなると、繰り返しの訪問が必要になり、この役割を果たすのが訪問看護師です。
 次回は自宅での医療に訪問看護師が必須であることを例をあげながら考えてみましょう。

高齢者とリハビリ

 今朝の外来での患者さんとの会話です。患者さんは90才女性。「先生、家族がすすめるのでリハビリへ通っていますが、帰ると疲れてぐったりします」と患者さん。「リハビリではどんなことをしていますか。」と私の質問。「自転車に乗ったり、いろいろな器械を使っています」と患者さんの答え。私の周囲にはこのような患者さんがたくさんおられます。多くの方はバスの送迎があるので、公的資金(介護保険)も使われているのでしょう。
 かねてわが国ではリハビリという言葉が至るところで使われていて、施設で器械を使ってするものだという固定観念があるような気がします。リハビリは正式にはリハビリテーションと呼ばれるもので、ここ100年ほどの間に普及した医学用語です。第一次世界大戦で多くの若者が負傷をして歩けなくなったり、腕を失ったりしました。そのような戦争被害者による若者を社会復帰させるためのプログラムがリハビリテーション(略してリハまたはリハビリ)でした。
 戦傷者へのリハビリの効果が確認されて社会活動が可能な、例えれば高齢者の脳血管障害の回復のためにも応用範囲が広がりました。その方の残っている才能を十分に引きだし、社会に奉仕ができる医学的訓練であり、期限付きのプログラムが本来でした。
 ところが私たちの周囲をみると特に障害のない人が運動に通っていることをリハと呼ぶ傾向が出ています。そして他人に頼っています。」  特に高齢者は施設に通って午前はリハ、午後はお楽しみというプログラムもあるようです。
 リハのプログラムは一人一人違う筈です。障害はそれぞれ違うのでリハの内容も違わなければ適切なリハではありません。
 いま多くの高齢者が通っているリハは高齢故に体の動きが不自由になったので、家族のすすめで通所している場合が多いようです。その場所で体を少し動かして入浴をすませ、昼食などの時間に仲間と話ができ る時間だといえましょう。リハの基本は達成目的とその時期が決まっていることです。高齢施設のリハにはその基本が設定されていません。
 今朝の高齢患者さんの話です。「家で店を覗き、台所で洗い物や掃除をしている方が体にあって楽だ」と言われました。これは実によい言葉だと思いました。
 身近な場所で自分のできるように体を動かせて平安に暮らす。例えば掃除なども施設の運動よりも体に無理がかからずに有益だと思います。  ただお一人暮らしの多い今の社会では孤立して寂しい思いがあります。
 これは理想論になりますが、施設に通うのではなくて、高齢者同士が自ら集まり、話や近所の見回りができる社会がこれからは求められるでしょう。

HBMとは…

 表題のHBMの説明は後にして、最近の当医院は高齢者の患者さんがたくさん来院されます。私が診療所を開設したときの年齢は45才 でした。その頃の患者さんが私と連れになって高齢になられました。
 私も高齢になるにつれて心筋梗塞や前立腺ガンを経験しました。当院を受診されている多くの患者さんも私と同世代なのでさまざまな病気にかかっておられます。心臓病、脳血管障害(脳梗塞・脳出血)、糖尿病や腎臓病、運動機能障害などさまざまな疾患に罹患されています。
 これらの病気は肺炎などのようにスカッと治る病気ではありません。一生付きあっていく運命にある病気(慢性疾患)です。そうなると病気を抱えながら一生を過ごすことになります。
 この状況で受診するたびに「ここがこれだけ悪い」、「あそこにも問題がある」と指摘されると気分も落ち込むことでしょう。これがすぐに対策をたてないと、生命の危険に結びつくのなら早速に手を打たなければなりません。ところが多くは慢性のかねての状況なのです。このような時には励まして慰める要素を見つけだしてあげると、患者さんは「受診してよかった」と幸せな気分で帰って行くことができます。私も高齢のために患者さんのそのような気持が分かるような気がいたします。
 さて、ここでHBMの解説に入ります。この言葉は東京・虎ノ門病院腫瘍内科部長高野先生の造語です。この言葉は翻訳すると「人間性に基づく医療」という英語の頭文字です。
 腫瘍内科は「がん」を薬で治療するのが使命ですから、現在の状況ではとても辛い診療科です。難しい病気であるからこそ「実績(証拠)のある治療」が求められてます。そのために厳しい手術なども求める患者さんが多くなります。しかしその患者さんにとって手術が最適であるかどうかは疑問のある患者さんも多くおられます。
 そこで高野先生は数字である証拠よりも患者さんの気持や環境・病状などを考えて、どのような治療がその患者さんの平和な気持を尊重することの重要性を強調しておられるのです。
 実はこの考えは高齢者の医療現場にもっとも求められているのではと考えられます。
 私の日常から今後の生活にいくつかの不安があるのは事実です。多分、高齢の患者さんも同じ気持ちをお持ちのことだろうと思います。
 そのような方々に不安ではなく、ホッとする気持や穏やかな気分にさせてあげることができる診療が私にとってのHBMになります。

注:HBMはHuman-Based-Medicine の略称で、[実績のある証拠] とはEvidence Based Medicine という医学用語です。
余談になりますが表題の頭文字のHはHuman ではなくてHappy と呼んでしまいたくなります。

拒否するのですか?

 私自身が医師ですが使ったことのない言葉に「拒否」があります。拒否という言葉は拒否権などの言葉から強く断るという語感があります。患者さんからしばしば聞く言葉に「検査を断ったら拒否するのですかと先生から言われた」という一句があります。実際に拒否という言葉が使われたかどうかは、その場に私はいないので確かではありません。しかし多くの患者さんから「拒否」という言葉を聞かされます。そしてこの言葉を使われるときの患者さんの表情には対面医師との断絶感を感じるのは私が語感に敏感すぎるのでしょうか。
 医師側から「その検査は受けたくないんですか」とやさしく問われれば、患者さんは素直に気持ちを表現できて医師との断絶感は生じることなく、安心して診察を終えることができます。
 医師も拒否という本来の語感に気づかずに「拒否」という言葉を何気なく使っているのでしょうが、この言葉が患者さんに重い心の負担を与えていることに気づいて欲しいと念じていました。
 医師にとっても勧められた検査を断るのはそれなりの心遣いが必要です。私も一度検査の勧めをお断りしたことがあります。その時はそれなりの文書をお送りして断りました。まして医療には素人である患者さんなのですから、弱い患者さんの気持ちを忖度して、医師は断れるような雰囲気をもった言葉遣いをして欲しいと患者さんの立場にたっての願いです。

滋賀県男性が日本一長寿に!

 昨年末は各新聞が滋賀県の男性の寿命が日本一になったと報じました。これまでは長野県が一位を続けていたのですが、私たちの県が日本一になったこ とは喜ばしいことです。
 その原因を新聞はいろいろ分析していますが、私は喫煙率が男性では日本最低だということも大きな原因だと思います。
 新聞では報道されていませんが、県民所得が高いことや、大きな琵琶湖が県の真ん中にあり、その周辺に人が住んでいることも理由のひとつだと考えます。
 琵琶湖が真ん中にあるので、人が一箇所に密集しない。さまざまな地域特性つまり中小都市、農村や漁村、山村が散在している。つまり多様な暮らし方が滋賀県にはあります。多様さこそが健康な生活には必要なのです。
 ただ、平均寿命ではなく健康寿命では男性3位、女性では39位と低いようです。
 健康寿命はWHOで定義されています。「平均寿命から日常的・継続的な医療・介護に依存して生きる期間を除いた期間」とされています。それなら血圧150で薬は飲んでいるが、ピンシャンと働いている人たちははどちらに分類されるのでしょか。この辺が曖昧なので、絶対的な基準である平均寿命が日本一になったことはそれなりに大きな意義があることと考えてよいのでしょう。

受動喫煙の被害

 月報発刊以来の31 年半にわたりタバコの問題については一回も話題にしたことはありません。今回はこの問題について解説してみましょう。タバコが健康に悪いことは皆さまは十分にご承知のことです。肺ガンや慢性閉塞性肺疾患(COPD)の発症に深い関係があり、心筋梗塞になる方が、タバコに関係のない人より2倍から3倍に増えることもご承知でしょう。タバコの箱にもこれらの危険性があることは明示されているので、喫煙者はそれを覚悟してタバコを楽しんでいるのでしょう。
 ところがタバコに火をつけるとユラユラと煙が立ちのぼります。実はこの煙のなかには多数の有害物質が含まれており、その数十種類は肺ガンの原因になるとされております。私が言いたいことは喫煙者がタバコを吸うときの煙はタバコのフィルターを通るので、有害物質はいくらか減っていると思いますがタバコからユラユラ立ちのぼる煙はフィルターでこされません。ところが喫煙者の周囲にいる人はこされない有害物質をもろに吸いこんでしまいます。これが受動喫煙者の受ける被害です。この受動喫煙で1万人が死亡していると日本呼吸器学会は警告しています。
 自分はタバコを吸わないのにタバコ肺ガンで死に至るとはこんな不条理なことがあるでしょうか。タバコを吸う人はそれを覚悟しているから、私はなにも申しません。タバコはマルコ・ポーロが新大陸から持ち帰り、かつては富の象徴ともされた、それなりの歴史を持っている習慣なので、それを受けついでいる人たちがいることは 理解できます。
 しかしその人たちが非喫煙者に肺ガンをもたらすことは倫理的に許されることではありません。
 極論になりますがお許しください。いま日本でコレラが流行して1万人も死亡するような事態になったら、私たちはどのように反応するでしょうか。隔離して治療という方針は国民全体から承認され るでしょう。
 タバコの害は集団発生しないのでタバコの煙がコレラ菌と同類であることに私たちは気づかないのです。さてこのように考えてくると対策は簡単です。自分以外の他人のいるところではタバコは吸 わない。いわば隔離です。
 ところが日本ではこれが難しい。今度も法律では商売上の影響から、バーや居酒屋などではタバコ禁止は実現しなかったようです。残念なことです。
 しかし救いは日本人男性の喫煙率はかつての80%から30%前後まで低下していることです。ただ残念ながら女性の喫煙率は以前と変わらずに20%前後が続いているようです。この傾向がさらに顕著になることを願っています。

琵琶湖の昔と今

当地に診療所を開いて40年ちかくなります。開業当初に当時の医師会長先生に勧められて、沖島診療所へ通った記憶があります。当時は600人ほどの住民がおられて、聴診器と血圧計だけの診療でした。医療器具がなにもなかったので、患者さんのお話しをよく聞いて診察するのが習慣でした。
 先日も沖島の漁師さんが来院されたので、当時の昔話になり、漁師さんの言葉が印象に残りました。「琵琶湖は死んだようだ。学者さんは琵琶湖の水は綺麗になったと言わはるけど、沖に出て水を掬うと濁っている。もう昔の水ではない。」とのことです。学者の見解と漁師の日常の実感との違いでしょう。
 昭和30年頃までは沖島には水道がなく、井戸も一つあるだけだったとのことです。日常に使う水は琵琶湖そのものでした。米を研ぐと、その周囲に小魚が群がって来たそうです。また、シジミも岸辺で無限にすくい上げられたとのことです。西居政吉氏著「沖島物語」によると「かつての沖島でのしじみ漁獲高10万貫」と記されているので、豊富な資源に恵まれていたことが分かります。私と話した漁師さんに若い頃に獲れた魚の種類を上げて貰うと10種類程度の名前がスラスラと出てきました。その中にはギギという聞き慣れない名までありました。おそらく数十種類の魚が生息する豊かな琵琶湖であったのでしょう。ところが今では瀬田シジミというブランドで僅かに残っているだけで、寂しいことです。
 その琵琶湖がなぜ死んだのでしょうか。私は一言で言えば昭和20年代末期に南郷に新洗堰が完成して、琵琶湖が完全なダムになってしまったからかなと想像しています。
 この時代は日本の戦後の復興期から飛躍の時期に入りました。工業地帯には田舎から人が集まり大都会になっていきました。この大関西地区を支える水源が琵琶湖だったのでしょう。また、琵琶湖も昔から洪水や渇水に悩んでいたので、水位の調整が人工的に出来ることは望ましい事であったのでしょう。そのために琵琶湖総合開発事業が進められました。湖畔には立派な道路が出来て、洪水も渇水もなくなりました。時代の発展に伴う事業で、人間の目から見ればやむをえない事業であったのでしょう。
 ところが、完璧なダム壁で琵琶湖の自然な環境は失われました。つまり湖水から川への自然な水の流れがダムによって阻止されたのです。洪水も渇水も自然の姿であってこそ、琵琶湖は世界最古の数千万年もの寿命を誇れるのです。ダムになってしまえば寿命は限られます。
 人間の開発力は素晴らしい。ところが長い眼で考えると、実は文化・文明の発達は私たちに暗い影を落としているのではと考えたりもします。時にはこのような超長期的な視点で考えることも必要だろうと思います。

IT活用・医療効率化して社会保障費を抑制

 5月4日の新聞で、政府は上記表題を目的として、技術革新を利用し、健康管理と病気予防・介護予防・自立支援を目的として、患者の基本情報や健康情報について、初診時に医療機関が共有できるサービス導入を目指すと報道していました。つまりコンピューターに登録するということです。政府の方針ではこのデータを活用するという方針ですから、必要な場所で必要な情報を利用できることになります。国が必要とすれば、国民一人ひとりの情報を管理できることになります。この目的は社会保障費の抑制ですから、生活習慣が悪ければそのために病気になったとして何らかの罰則( 例えば医療費の増額)を求めて来る可能性がありましょう。
 また、今年度より19才から39才までの健康診断が開始されます。0才から高卒の18才までは教育機関の検診があります。40才から74才までは特定健診、75才以上は後期高齢者検診が制度化されています。19才から39才までの検診が制度としては抜けていました。 この年代が埋まり、乳児検診から人生末期までの検診制度がつながりました。この国民全体の検診データは施策を行う国にとっては、貴重なビッグデータになるでしょう。国力の中心となる若者のデータだからです。
 また、既に施行されている国民総番号制度によって私たちの個人情報( 納税・金融口座・親族関係・犯罪前科・社会保障制度納付の有無)がほぼ公的機関に把握されます。
 行政はこれらの制度で、国民一人ひとり健康を含めた個人情報を獲得することになります。国が国民を管理しようと望むなら、それも容易にできることなります。1千兆を超える国家の赤字を改善するために、終戦直後のように預金封鎖も出来ることになります。万一、徴兵制度が施行されると誰を徴兵するのかまで判断できることになるでしょう。
 政府はメタボ対策や事務の合理化とか社会保障制度の抑制の ためというまっとうな理由でこれらの制度を説明していますが、いま述べた危険性が裏にあることを知り、自らのこととして考えてみてください。

「健康診断は受けてはいけない」近藤 誠 著

 上記の医師・近藤誠氏の文藝春秋社新書を3月に読んだので、その感想を述べましょう。近藤誠氏は日本のがん診断・治療について否定的な発言 をされるので、皆さまも氏のお名前はご存知の方も多いことでしょう。そのために日本の医療界では医療の否定だとして、評判はよくありません。医学界の異端児という感じです。
 今回の新書もその流れのなかで健康診断は有害無益だとの主張です。健康診断そのものは有害ではありませんが、ささやかな異常所見に医療介入(指導・治療)を行った群が、受診しないで放置した群よりも長期的に は死亡数が多いという諸外国のデータを示して論拠とされています。がん検診も日本では熱心に行われており、早期発見のためにがん患者が増加していると言うのが私たちの常識です。ところが厳密な統計処理をしてみると、がん検診時代以前と死亡率は改善されていないので、早期診断の意味がないので、がん検診は無意味だと主張されています。これらの主張には諸外国の文献を紹介しながらの意見です。
 一方、日本ではメタボ検診を含めて検診花盛りです。先日も病院での健診結果を持参された方がいます。あらゆる放射線検査、内視鏡検査など膨大な結果を持参されました。さまざまな異常が示されていますが、既にご 承知のことばかりです。この検査のために高額な費用を払い、不必要な放射線を浴びているのです。また、過剰な検査の一例です。首が痛いので受診したところ、ついでに心臓も調べましょうと言われて、心臓カテーテル中に死亡された方もおられます。
 私は近藤氏論を自分では確かめられないので、検診無用論を主張するつもりはありません。しかし私の日常診療の感性からすると、彼の論に納得できる点も多いように思われます。
 文藝春秋5 月号では、主としてアメリカの諸学会で無駄な検査や投薬などの見直しが行われ、健康な人には毎年の健康診断は不必要で、益より害をなすことが多いと考えられている状況が紹介されていました。どうやら日本の毎年の健康診断は日本独特の制度のようです。この検診のための費用は国家としても無視できないほど高額であり、国民全体としての放射線暴露は恐らく世界で図抜けているでしょう。
 この状況に対して日本の医学会はどのように考えているのでしょうか。目立った発言はほとんどありません。「まず検診ありき」で、その結果の基準値外れ(異常値)は疾病で「要治療」という今の姿勢が私たちの幸せにつながるのかを考える時期ではないでしょうか。 学会でも膨大な研究発表だけでなくて、会員同志で診療内容をくわしく評価(peer review) しあう制度ができてほしいものです。そのことで検診の意義がさらに明らかになるでしょう。
 残念なことに、本書も近藤本に共通する言葉使いが乱暴なことです。この言葉使いは筆者の計算があるのかも知れません。通常の言葉使いで書かれていると医学界でもそれなりの評価があるのでしょう。

SpO2 酸素飽和度とPaO2酸素分圧

 最近、しばしば爪の上から指を挟んで、その人の体内の酸素を計る機会が多くなってきました。そのようすをご覧になった方も多いでしょう。私はこれを見ると医療技術の進歩をまざまざと感じます。私の病院勤務時代は体内の酸素を計るには、動脈に針をさして採血を行い、それを密封してすぐに測定する必要がありました。これで計れた酸素量は大気の酸素が体内に入って、さまざまな関門の抵抗を通過すると次第に圧が下がってきます。大気の酸素圧はほぼ150mmHg ですが、体内ではおよそ100mmHg に下がっています。体内に酸素が入るには50mmHg の圧差が必要なのです。
 一方、指先で計る酸素飽和度の結果は98%とか90%などのように%で示されます。この違いは何なのでしょうか。
 ここで少し面倒な話になります。
 酸素は気体で血管を流れているのではありません。肺から入った酸素は肺胞( ガス交換の場所)で血中を流れているヘモグロビン(今後Hb と省略)に吸収されて酸化Hb となり、体の隅々まで送られます。動脈血は深紅で静脈血は赤黒いことは皆さまご存知のことです。指で計る酸素飽和度はHb の紅さを計っているのです。言いかえれば血管を流れている多くのHb が酸素を含んでいたら、より紅くなるはずです。したがって酸素飽和度は流れているHb の何%が酸化Hb かということになります。96%ならば、Hb の96%が酸化Hb という意味です。
 例えれば分圧は高低差で流れる川( 実は気体)であり、飽和度はその場( 指先)の量だと理解されます。
 次に分圧と飽和度の関係を説明しましょう。人は呼吸をすると言います。何のためでしょうか。体を構成している細胞が酸素を必要とするからです。肺から吸収した酸素を細胞に届ける役目が酸化Hb です。そこで体の隅々まで酸化Hb が流れていきます。最後には目の前に細胞があります。すると自然に酸素はHb 離れて細胞に入っていくでしょうか。酸素が細胞膜の壁を通過して細胞に入るにはそれだけの圧力が必要です。細胞に入るには最低で60mmHg の圧が必要なのです。最初に人が空気を吸いこむ時には150mmHg あった圧が細胞に取り込まれるときには60mmHg まで下がっていることになります。酸素飽和度96%の時に分圧は97mmHg と細胞に入る力を持っていますが酸素飽和度90%になると分圧は60mmHg と下がってしまい、細胞に入りこむ力を失ってしまいます。
 これまでの説明から飽和度が90%以下になれば酸素吸入をして、飽和度を90%以上に維持することが必要なことが理解できたことと思います。少々、面倒な話になりましたが、これだけの理解があると酸素吸入の必要性を説明できるでしょう。

注:mmHg はTorr と書くべきですが、これは新しい記載方法なので、従来の用語を用いました。

薬剤アレルギー 我が身の安全は自分で守ろう

 医師にとって恐ろしい職業上の危険は、処方した薬による薬剤アレルギーです。私が医学生の頃に、東大法学部教授が歯科治療の最中にペニシリンアレルギーで死亡される事件があり、これが世間に薬剤アレルギーの恐怖を教えた最初の例かと記憶しています。私の経験では滋賀県医師会理事で医療事故を担当していた時期に、中耳炎の治療でよく使われる薬剤のアレルギーで死亡された事件を担当し、このような普通の薬でと驚いた経験があります。
 そこで、私の失敗談をお話ししますので、皆さまも参考にしてください。
 20 年程前のことです。外来終了後に患者さんが息苦しいと訴えて来院されました。症状は重症の喘息発作のようです。話では30 分ほど前に近医で鎮痛剤を服用しました。どうやらその後に突然に発作が生じたようです。酸素吸入をしながら、点滴で発作は治まりました。この発作は解熱・鎮痛剤が原因であったのだろうと考えて、今後は新しい薬が処方される時には「私にはアスピリン喘息があります」と伝えるように助言しました。
 私の失敗はこれからです。その後、数ヶ月してこの患者さんが発熱で来院されました。高熱がありましたので、うっかりと解熱剤を出してしまいました。翌朝に患者さんが来院され、診察室へ入って来られた姿を見た瞬間に昨日の処方を思いだしました。いかにも息苦しそそうな様子です。思わずに「ご免なさい」とお詫びをしました。その後の処置で無事に症状は治まりました。カルテの表書きに赤字で「解熱剤注意」と書いてあるのですが、多忙な時期でしたので私が見落としたのです。印象深い診療体験なので、私の記憶に強く残りました。
 その後20 年。この患者さんが咳で来院されました。レントゲン写真で軽い肺炎が見つかりました。幸いに微熱程度でしたので、抗生剤を処方しました。その夜に布団に入った時、その患者さんの処方が頭に浮かびました。と同時に20 年前のエピソードが蘇りました。解熱剤を出したかどうかはっきり思い出せません。不安な一夜を過ごして、翌朝に出勤するとすぐにカルテを調べたところ、微熱だったので解熱剤は処方していないのでホッとしました。
 数日後、元気になって来院された患者さんに、20 年前の話をしました。そのようなことがあったのは覚えておられましたが、薬剤アレルギーに対する私の助言は全く記憶に残っていないようでした。20 年も昔の話ですから、無理もないことかもしれません。しかし、薬剤アレルギーは自分の生死に結びつく可能性があるので、是非とも記憶に留めておいて、自らの命を守って欲しいと再度の助言をしました。この助言を記憶することが、患者と医師の不幸を避けるために必要なことです。

認知症患者の社会的異常行動(地域社会での見守りが必要)

 先月、友人の医師が裁判の証言に出廷することになったので、その裁判を傍聴に出かけました。裁判は比較的簡単な事件で、商品を支払なしに持ち出そうとして、警察へ通告されて事件になったものです。認知症にはさまざまな社会的に困った現象がおこります。例えば、上記のように支払わずに品物を持って出ようとして、窃盗事件とされる事案。同じ品物、例えばティッシュを大量に買いこむ。徘徊してどこにいるのか分からなくなる。時には鉄道線路に入って生じる不幸な事件。これは家族に莫大な賠償金が請求されることがある等々。 このような社会的に見て,異常と思われる行動をされる人は、高齢者の増える今後は日常の現象になり、皆さまのお目にかかることがしばしばになりましょう。
 認知症という状況で、このような方を窃盗だとして、警察に告発してよいのでしょうか。寒い暗闇に立ちすくんでいる人を、私たちは放置してよいのでしょうか。
 認知症の患者さんは家族だけでは守れません。店先で、支払なしに品物を持って出ようとすると、その方が認知症だと分かっていれば、家族に連絡したり、店員さんがなだめて品物を戻せば、警察沙汰になりません。路頭で迷っている人がいたら声をかけて,自宅や警察に電話するなどの援助があれば、家族が夜中に探し回るご苦労はなくなります。いわば思いやりのある地域社会の復活です。そのためには、さまざまな準備が必要でしょう。例えば、徘徊していると思われる人を見たら、そのことを伝える連絡先を広く公表する。それは119 のような専用電話にするとよいでしょう。例えば231(不在)などはいかがでしょう。
 このような地域社会が成りたつには,認知症であると診断されていることを、地域の方々が承認しなければなりません。しかしこれがとんでもなく難しい。このような社会は理想的ではあるが、実現困難な地域社会でしょう。まずは個人情報保護法が最初の厚い壁になります。行政も医療機関も本人・家族の同意がなければ、診断書は公表しません。さらに高い壁は認知症への社会からの偏見であり、家族もその事実を認めて公表することを避ける傾向があります。法律と人間の差別心の存在。この二つで、私の提案が空しいことだと自覚していますが、少しでも理想に近づく努力は必要です。
 最後に新聞の記事を紹介しましょう。万引きで何回も逮捕された被告に、裁判官は執行猶予をつけました。そして「将来の医療の進歩で更生してほしい」と付けくわえたと報じていました。裁判官のやるせない心情を理解できました。 

難しい医療用語『混合診療』

 今月号の「オバマケアの崩壊」を前読みした読者から、混合診療の意味を質問されました。今後、日常で混合診療という言葉が頻繁に使われるようになると思われるので、皆さまのために簡単に説明しておきましょう。
 昭和36 年からわが国では国民皆保険が施行されて、国民全員が平等な医療を受けられるようになりました。この保険の意義は、貧富の差のない平等な医療を求めるということで、制度全体に公定価格が定められました。公定価格で決められた以外の治療は禁止です。ところが社会が豊かになると、入院するなら上等な部屋でというような希望が増えました。そこで上等な部屋には、病院が自由に医療保険費用以外の割り増し料金の請求が許可されました。この割り増し部分が自由診療です。保険と自由診療が混じり合うので混合診療と呼ばれています。最近になり、高齢者の増加、医療技術の高度化、高価な薬剤の普及などで、医療費は国費の4 割ほどを占めるようになり、医療保険の破産が心配されるようになりました。
 そのために国は医療保険の出費を減らすために、その代替として自由診療部分を増やしたいと考えています。その策の一つが今の国会で承認されたTPP です。この条約の基本は規制緩和です。この立場からみれば、医療保険などは厳しい規制の固まりになります。ところが、現実には既に規制撤廃の傾向は始まっています。例を上げれば、入院中の食費の一部は自己負担になっており、紹介状のない大病院初診料は大幅な割り増し(自由診療)が可能になっています。さらに規制緩和で、利益を目的とする株式会社も医療に参入が可能になります。テレビの医療保険のコマーシャルを見ていると、外国の保険会社はまだまだ、日本からは利益を上げられると考えているようです。今後、医療保険制度からシップや風邪薬などを外していくと、いつのまにか私たちの医療保険がやせてしまい、そのぶんだけ一部の層が豊になるのではと案じます。
 私の心配は、国民皆保険が崩壊して、医療を受けられない国民層と、入院していてもフランス料理を楽しむ層と国内が二分化されることです。
 この欄で、本紙冒頭の「オバマケアの崩壊」の結論の部分の解説をしました。やはり紙数が少ないので、ご理解できたかどうか気になるところですがご容赦ください。

睡眠薬転倒→骨折・寝たきりへの危険性

 最近しばしば、皆さまから眠れない、不安だ、肩こりが強いなどの訴えで「薬をください」と望まれます。そこで薬を処方するのですが、その際に私には一抹の不安があります。これらの症状を軽くする薬はベンゾジアゼピン系と名づけられた一群の薬で、この50 年ほど使われている薬です。この薬の効き目は@不安を軽くする、A眠くする、B筋肉の張りを軽くする、C痙攣を抑えるなどの働きがあります。この四つはベンゾジアピンに共通の効き目ですが、薬によって各分野の特徴があります。例えば不安を抑える薬にはセルシンやデパス、グランダキシンなどがあり、Aの睡眠作用の強いのはマイスリー、ハルシオン、ベンザリンやレンドルミンなどです。また、Bの筋肉の緊張を押さえる薬にはデパスも使われます。これらの薬は当院でも使われている薬です。
 ところが残念ながら、ベンゾジアゼピンには共通の副作用もあります。依存性と健忘症です。依存性とはだんだん薬が効かなくなり、飲む量が増える傾向があり、やめられなくなることです。当院ではほぼ全員の患者さんに1 錠しか処方していません。したがって1 錠のみの患者さんならば深刻な副作用の心配はありません。
 私がこれらの薬に一抹の不安を感じるのは、夜中のトイレへ通うことなのです。睡眠剤として服用していても、ベンゾジアゼピンの筋弛緩作用を避けることはできません。夜中に目覚めて、すぐにトイレへ通うと、頭はまだ眠っている。加えて筋肉の力も眠っている。そこで数歩あるくと、ふらついて転んでしまいます。その結果は骨折です。大変なのは足の付け根が折れることです。これは深刻で、高齢者の場合は寝たきりになる可能性が大きいのです。寝たきりになると認知症へ進んでしまうことが案じられます。
 現在、処方されている睡眠薬には、ほぼ全てにこの危険性があると考えてください。このところ、自然の睡眠を誘うから安全だという薬も出ていますが、残念ながら患者さんは満足できないようです。当分はまだ従来のベンゾジアゼピンが使われると考えてください。 では夜中の危険を避けるにはどうすれば良いのか。布団が畳に敷いてあれば、1 分ほど座ってから、自分のいる場所を確かめてから、ゆっくりと立ちあがることです。ベッドなら足を床に付けて、30 秒ほど目を開けてから立ちあがりましょう。これだけの気遣いで、転倒→骨折の可能性は大幅に減ることでしょう。
 不眠は辛い。ぐっすり寝て翌朝を迎えたい。そのために睡眠薬を1錠服用したら、これだけの注意は是非とも払ってください。

気管支喘息とCOPDの違い

 気管支喘息は耳慣れた言葉なので、まず横文字のCOPDの意味の説明から入りましょう。この言葉を日本語に訳すと慢性閉塞性肺疾患です。この日本語も難しい。そこで分かりやすく説明すると、長期間タバコを吸っている人に生じる呼吸困難です。いわばタバコ病です。喘息も呼吸困難が症状です。両者ともに同じ呼吸困難ですから、その違いを解説しましょう。 気管支喘息は、発作が生じると治まるまで昼夜を問わずに呼吸困難が続きます。ところがCOPDは体を動かさないと呼吸困難を自覚しません。それには大きな理由があるのです。
 その理由を理解するために、皆さまにこびとになって肺の中に入って貰いましょう。喉の奥まで入ると直径1.2センチの管が見えます。これが肺への入口です。ここから空気は肺内へ出入りします。この管は空気の通る道なので気道(医学用語は気管・気管支)と呼んでいます。この気道を数cmほど進むと左右に分かれます。右の道は右肺、左の道は左肺への入口です。右の道へ入ってみましょう。2cmも進むとまた別れ道があり、その度に気道は小道になっていきます。このようにだんだん細くなっていく分かれ道を20回以上も繰りかえすと、肺のいちばん奥に到達します。この気道を入口部、中間部と最深部に分けて考えると喘息とCOPDに違いが理解しやすくなります。入口部の管(気道)は硬い軟骨で作られているので、空気の通過を邪魔しません。ところが中間部の管(気道)の壁には筋肉があるので、その痙攣で気道が狭くなり、空気の出入りが難しくなり、それによる呼吸困難が気管支喘息です。
 20回近く分かれると、目に見えないほどの細い気道になり、そこが肺の最深部で、酸素と炭酸ガスを交換する肺胞領域になります。COPDはタバコの煙害によって、この肺胞領域部分が破壊されて生じる呼吸困難です。
 ここで気管支喘息とCOPDの呼吸困難の違いを説明しましょう。喘息は中間気道が閉塞する発作ですから、閉塞している間は呼吸困難が昼となく夜となく連続して続ます。ところがCOPDは酸素を取り入れる肺胞領域が破壊されるので、酸素が十分に体内へ取り入れることができません。幸いにも日常の呼吸では、肺胞領域の2割程度しか使っていません。だから肺胞が少々壊れても余裕があり、日常の生活にも影響がありません。しかしタバコを吸い続けると、その破壊される領域が次第に拡大して、息切れ(呼吸困難)という症状が出てきます。破壊の程度によって、検査でしか分からない時期から、最後は話すだけでも息切れを感じるようになります。どれだけ破壊されているかは、同年代の人と比べると分かりやすいでしょう。表をご覧ください。タバコ吸いでもU度やV度では、「体力が落ちたな」と感じる程度でしょう。さすがにW度になると息切れを強く感じて仕事ができなくなります。しかし他人はそれを理解できずに「ゴクタレ病」と罵ります。ここまで自覚症状が強くなると、さすがに病院へ出向きます。学会の統計では510万人ほどのCOPD患者がいると推定されていますが、受診者は20万人ほどだそうです。気の毒な「ゴクタレ病」が何百万人もいることがお分かりでしょう。 X度になると酸素吸入が唯一の救いになります。でも酸素吸入をを上手に利用すると、農耕機具は使いますが、田植えまでできるようになります。酸素吸入で社会的に生きかえるのです。

呼吸困難の程度(同じ年代の健常者と比較して)
T度健常者と同じ仕事ができて、階段も自由
U度歩行は健常者なみだが、階段では遅れる
V度歩行では健常者に遅れるが、ゆっくりなら歩行可能
W度一気に50 メートル以上は歩けない
X度会話や衣服の脱着でも息切れ、外出不能

 さて、最後に治療について解説します。
 喘息は筋肉の痙攣ですから、痙攣を治める薬で楽になり、発作のないときは全く普通人です。
 COPD治療薬は喘息ほど薬の効き目は感じられません。大事なのは予防で禁煙につきます。
 問題なのは発病してW度近くまで悪化しないと、病気だと悟る人が少ないことです。私の経験では兄が酸素を吸って田植えをしているのに、弟さんはタバコを吸い続け、W度近くなって、始めて自分の病気に気づきました。その時は既に酸素吸入の時期でした。COPDにはこのような患者さんが多いことが問題なのです。

肺炎球菌肺炎予防ワクチンニューモバックスとプレベナー

 肺炎球菌は細菌の一種で、喉や鼻の奥にいつも住み着いている細菌(常在菌)で、この菌を肺に吸いこむと、治療の難しい肺炎になります。高齢になると、時たま水を飲んでもむせます。これは誤嚥といって、水を肺に吸いこんだ症状です。この際に水分と一緒に口の中の肺炎球菌が、肺の奥に入ってしまいます。高齢になると、体の抵抗力が落ちるので、この菌で重症の肺炎になります。新聞の死亡記事で、死因を肺炎と書いてあるのは、おそらくこの種の肺炎だろうと推測しています。
 そこでなんとか、この肺炎を防ぎたい。そのために開発されたのが、上記の2 種類の予防ワクチンなのです。ニューモバックスは一昨年10月より65 才から100 才までの5 才刻みの方に補助金が出るようになって、市役所から案内の葉書が届くので周知されるようになりました。このワクチンは5 年ほど有効なので、その後はまた再接種を考える必要があります。
 プレベナーは生後2 年たらずのうちに4 回接種を行います。このワクチンの特徴は、年をとってこの肺炎かかると、生後まもなく接種したワクチンが生きかえる免疫記憶という仕掛けが体にあるのが特徴です。私はすでにニューモバックス接種5 年後に2 回目の接種をしましたが、次回はプレベナーかと考えています。これで、肺炎球菌肺炎への対策はおしまいです。後は日常しっかりうがいをするだけ。
 そこで私の考えでは、ニューモバックスを接種した方は1 年を過ぎればプレベナー接種で生涯有効。市役所から葉書の来た方は補助金が出るので、まずそれを利用しましよう。
 以上は一般的な解説です。私が伝えたいことは、気管支喘息やCOPD で吸入療法をしている方にプレベナーを是非にとおすすめしたいのです。多くの吸入薬の中には気管支の炎症を抑えるためにステロイドが入っています。それが細菌に対する肺の抵抗力を落として、肺炎にかかりやすくなことが統計でも示されています。しかし残念ながら厚労省はプレベナーの対象年齢を65 才以上としています。私の医師としての観点からは、ステロイド入りの吸入薬を使用している患者さんには、このワクチン接種は是非とも必要だと考えます。
なお、ニューモバックス注射による副作用を私は経験していません。プレベナーは乳幼児に4 回も注射しているのに、副作用の新聞報道はありません。このことは安全とみてよいでしょう。
(お詫び:月報351 号でプレベナーをプレベナールと誤記しました。申し訳ありませんでした)

コレステロールの善悪とは?

 私も診療中、患者さんに対して、善玉コレステロールとか悪玉コレステロールという言葉を使っています。しかし、この医学用語には私の心に多少のしこりが残っているのです。今回は心のしこりについて解説しましょう。
 まずコレステロールがなければ,人は生きていけないと記憶してください。その理由は人間の体は数十兆個ほどの細胞でできています。ところが、その細胞を守るためにコレステロールは絶対に必要な成分なのです。だから体は自然と体内にコレステロール製造工場を持っています。それが肝臓なのです。
 そこで、必要なコレステロールは肝臓で製造されて、これを体の隅々までの細胞に配送しなければなりません。ところがコレステロールは自分では動けない。そこでLDLというトラックにコレステロールを積んで、配送することになります。この配送車をLDL コレステロールと呼んでいます。末梢血管の細い場所にある全ての細胞にまでコレステロールを運んでいくのです。そして各細胞にコレステロールを渡します。そのおかげで細胞は生きていけることになります。
 細胞内で配送されたコレステロールの役目が終われば、HDL というトラックが迎えにきて肝臓へ送り返します。この帰りのトラックがHDLコレステロールです。LDL コレステロールは生命維持に必要な物資の配送車であり、HDL コレステロールはいわば回収車にあたります。すこし簡単に書きすぎたので、専門家からは異議がでるかもしれません。
 このようなコレステロールの動きなのですが、LDL コレステロールは時に脳や心臓、大動脈など命に関わる重要な臓器に必要以上にコレステロールを降ろしてしまいます。すると余分なコレステロールが血管にへばりついて動脈硬化を起こしてしまうので、悪玉コレステロールと呼ばれるようになりました。一方、細胞や血管壁からコレステロールを持ち去るHDL は善玉コレステロールと呼ばれるようになりました。
 そこで、冒頭の「心のしこり」に返ります。
 善と悪は道徳上の問題で,悪は排除しなければなりません。ところが体を生かすためのコレステロールを円滑にまわすためのトラックがLDL であり、HDL なのです。そのような体の仕掛けを善とか悪とかの言葉で評価すると、悪玉コレステロールは低い方がよいということになります。ところがコレステロールが低すぎると血管事故で短命のもとになります。
 最近はLDL コレステロールを強力に減らす薬が処方されています。私はこのところ検査値のコレステロールを注意深く見て、減量したり中止したりしています。LDL コレステロールの医療機関での基準値上限は140( 正確には139) ですが、160 程度までは薬を出していません。
 このような複雑な事情を善悪で簡単に割りきることに「心のしこり」を感じているのです。

介護保険制度へ二つの要望

介護保険が創設されて、既に15 年を越えた。その経過の中でいくつかの矛盾があるように私には思われるので、指摘してみたい。

認知症の介護度は要再評価

 介護保険が創設された平成12 年には認知症への問題意識よりも、四肢の不自由による日常生活の自立性の評価が中心になっていたようだ。例をあげる。97 才女性。頭脳明晰だが、膝と股関節の骨折で寝たきりになった。この方の介護度W。
 最近になり、認知症患者の評価が低いことが問題だと思うようになった。これも例示する。90 才男性。認知症高度で屋内至るところに放尿。意思疎通不能。しかし下半身はしっかりしており、夜間になると徘徊。家族の介護の負担を越えている。しかし、この方は介護度U。
 前者よりも後者のほうが介護者の心身の負担は遙かに重い。重症認知症患者への介護度を見直す必要があるように考える。

介護保険と医師指示書の関係

 在宅医療重視の今日では、訪問看護の重要性は今後ますます高まっていく。訪問看護は医療行為なので、医師の指示書が必須になる。ところが、訪問看護は介護保険適用が原則のようだ。とすると介護に必要な公費はケアマネージャーが差配することになる。ところが多くのケアマネージャーは専門的医療教育を受けていない。その人たちは医療にはいわば素人である。そうなると医師が指示しても、ケアマネージャーが指示内容は公費負担分を超過するとして医師の指示を断ることも考えられる。この場合には特別訪問看護指示書という救済処置があることは承知しているが、これにも面倒な制約がある。訪問看護指示書が提供されれば、これは医療保険扱いになるとスッキリする。医師として、このような提案も再検討して欲しいものだ。

Hb(ヘモグロビン)A1c(エーワンシー)7%その意義を理解しよう

 当院にはたくさんの糖尿病の患者さんがおられます。糖尿病を上手に乗りきるには日常の暮らしぶりが鍵になります。その暮らしぶりを評価する毎月の検査がHb、A1c測定(以後A1cと略記)なのです。
ある日、たまたまA1cの値が7.1%になった患者さんがおられました。7%を越えたといって悲観されていました。私は思わずに「なぜ7%なのでしょうね」と質問したところ、「7以上はあかん」のだと返答されました。私も意地悪く「なぜ、あかんの?」と再質問したところ詰まって、お答えになりませんでした。そのことが気になって、その後に来院された糖尿病の患者さんにしばしば同じ質問をしました。殆どの方がお答えになりませんでした。日常茶飯事にA1cという医学用語をお互いに使いながら、数字ばかりの話しで、A1cの持つ意義が理解されていなかったようです。私は思わずに、その質問をする度に反省せざるをえませんでした。A1cの持つ意義は当初は説明したつもりですが、ながい経過の間に、その意義が疎かになって、数字ばかりの話になっていました。
 一方で話題を変えて、「なぜ、糖尿病が怖いのですか」という質問には、「眼が悪くなる」とか、「腎臓が悪くなり透析になる」などの知識は持っておられました。さすがに足の壊死(腐る)の話題までは出ませんでした。 また、A1cが1.2カ月前の糖尿病(生活状況)の反映であるということも知っておられました。これらの知識をばらばらにご存知であり、A1cの知識と密接に結びついていないのです。だから糖尿病闘病の実力になっていないようです。これは日常診療に慣れてしまった私の説明不足と反省しています。
 さて、A1c の話です。この検査は1980年代初期に実用化して利用できるようになりました。この検査法で、糖尿病の治療は一変しました。それまでは受診2、3日前から絶食状態で、受診時の血糖値が低いと誉められて、帰りはぜんざいを腹一杯食べたなどの逸話が山ほどありました。こんな状態では患者と医師との関係に信頼感が生じません。ところがA1cは前述したように検査1.2カ月前の生活状況の反映です。これでは診察時のごまかしがききません。 話を分かりやすくするために、糖尿病の発症をあなたを襲った台風に例えましょう。血糖値は瞬間風速であり、A1cは台風の平均風速に相当します。瞬間風速は時々刻々と変化します。絶食して受診するのは台風が凪いだ状態(台風の目)なので、台風の全貌を示していません。台風の規模は平均風速です。平均風速が強いほど、言いかえればA1cが高いほどあなたを襲った台風、つまり糖尿病が悪いという証拠になります。A1cはこの病状の程度を的確に反映しています。
 台風を大型台風や中型などと分類するように、A1cでも病状によって分類します。A1c6%まで、6%台、7%以上というような分類です。その分類には次のような意味があります。 糖尿病と診断されても、食生活や日常習慣の見直しで、A1cが6%以下であれば、その人の血糖の状態は糖尿病なしと同等であろうと割りきりましょう。今の生活の維持でよいということです。 ここで、A1c7%が問題になります。 なぜ7%なのか。先の私の質問の解答はここからです。糖尿病の合併症は皆さまご存知でした。目、腎臓、下肢の障害でした。最悪の場合は失明して、透析になり、下肢の壊死がもたらされます。これらは毛細血管が微少な血栓(血の固まり)で詰まって起こる障害です。心筋梗塞や脳梗塞などの大血管の詰まりも予想されます。これらの合併症を予防するために、A1cを7%までに抑えこむことの意義を十分に患者さん方に知っていただかなければなりません。皆さま方の頭の中に混在している糖尿病の合併症の知識とA1cを結びつけることが大事なのです。数字のみにとらわれて6.9%だと喜び、7.1%だと悲観する患者さんが多いようです。医師の立場から言えば、両方の数字は同じ状態だろうと思います。一喜一憂する必要はありません。ただ、皆さまよくご存知の怖い!糖尿合併症の隣に位置していることを悟って、生活を引き締めることが大事です。以前の月報にもA1cの解説を書きましたが、今回は視点をかえてごく分かりやすく、糖尿病の知識をバラバラでなく、ひとつに纏めて日常の生活に役立てて欲しいと願い本稿を認めました。

改定医療保険制度の影響

 2 年毎に改定される医療保険制度が、この4 月1 日からまた改定されました。この改定が皆さまに与える影響は、ほとんどないと考えてよいでしょう。この欄では特に皆さまに注意して頂きたい点を解説します。

大病院受診の際

 この地域で大病院といえば、滋賀医大や大津日赤などを意味します。このカテゴリーには草津総合病院も入るようです。この病院を受診する際に紹介状がないと、選定医療費として特別な高い料金を診察料として請求されることになりました。調べたところによると滋賀医大と大津赤十字病院では5,400 円、草津総合病院では5,000円が、初診料2,820 円に上乗せされます。近江八幡医療センターは従来のままです。
 これは大病院は重い病気の治療に専念することが任務なので、風邪などの軽い病気の方は診療所や地元病院で治療を受けてくださいという主旨で、軽症の患者さんが大病院を受診しないようにするための施策です。また医療費削減の狙いもあるのでしょう。

長期処方不可 シップは70 枚まで

 高齢になると腰が痛い、足が痛い、肩が痛いなどでシップが必要な患者さんが多数おられます。ところがシップの使い方は「患部に1日1 回」と大きく袋に書いてあるのですが、朝夕に貼りかえたり、他人とあげたり貰ったりの関係もあり、保険薬の使い方とは思いえないのが実情でした。この悪習を改めるとすれば、このような簡単なやり方しかないのかなと思います。
 また、薬を30 日以上を処方する場合にも難しい条件がつきました。「病状が変化した場合の対応方法及び当該医療機関の連絡先を患者に通知する」となっています。この条件を満たせなければ、「30 日以内に再診を行う」と指示されています。事実上の長期処方の禁止です。
 改定では「かかりつけ医」とか「在宅医療」や「認知症」対応などを評価(費用を高くするという意味)したと言うのですが、絵に描いた餅という感じで当院を受診されている方々には関係がない改定なので省略します。


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医療法人社団 折田医院
診療科目:内科、呼吸器科、循環器科