トピックス

喘息治療に必要な検査「一酸化窒素測定」

 「咳止めで治まらない咳」と題して、昨年6 月号の月報で咳喘息を解説しました。その中で呼気の一酸化窒素(以後NO と略称)測定が診断に役立つと書きました。昨年6 月からこのNO 測定を200 人ほどの患者さんにおこないました。今月号では、その結果について述べましょう。
 まず検査方法です。口にくわえた筒を通してゆっくりと10 秒かけて息を測定器に吹きこみます。最後の10 秒目の呼気は肺の奥の病状を反映しています。この空気の中にあるNO 濃度を測定します。これが22〜 23(ppb)までならまず問題がありません。この数値を超えるとアレルギー性気道炎症があると推定できます。これは気管支のごく細い部分がアレルギーで紅く腫れているのでしょう。例えれば皮膚が赤く腫れているのと同じ状態が、肺の奥の細い気管支の粘膜で起こっているのです。その刺激で強い咳が連続して出ることになります。しかも腫れのために気道(空気の通り道)が更に細くなってしまい、空気の出入りごとにゼイゼイと胸がなります。したがって治療はアレルギー反応を抑えて、気管支(気道)を広げることが中心になります。このような病態なので、単なる咳止めでは効かないのです。
 NO 測定を行うには詳しく咳の状態を聞きとります。咳が強いのは寝入りばなか、深夜?、夜明け?など。さらに呼吸の姿勢なども重要です。この聞きとりから咳喘息を疑ったら、確認のためにこの検査を行います。
 気管支喘息や咳喘息を疑った当院の患者さんのNO 測定の結果は50から70 のあたりに集中しています。これらの患者さん方に適切な薬を処方します。もちろん咳止めは選択しません。すると受診した夜から咳が出なくなり、久しぶりによく眠れたと言われる患者さんが珍しくありません。その話をきくと、私はホッとします。
 しかし検査値と症状が一致しないケースもあります。検査値は低いのに、症状は喘息を思わせる場合などです。このような時は胸の写真を撮影して、他の病気がなかったら喘息の治療をします。大事なのは検査値ではなくて、あくまで問診による患者さんの病状を掴むことが基本です。
 NO 測定は最近になって普及してきた検査です。これによって今まで医師が考えていたことが、可視化された意義が大きいように思います。注 1ppb は1ppm より遙かに小さい10 億分の1 に当たります。

医師にはふたつの顔がある

 人を対象とする医療分野の中心は医師ですが、その医師にはふたつの顔があります。ひとつには命を救うために、時には非情なほどの高度の技術を駆使する技術者の姿です。この際に必要なのは客観的な医学的データです。高度な専門医の医療がこれにあたり、時には神の手と賞賛されることがあります。
 ところが人間は不老長寿ではありません。必ず死が訪れます。私には死とはその人にとって宇宙の消滅と同じ意味があるだろうと思います。したがってその過程にある人は、さまざまな不安や恐怖などに悩まされることでしょう。この事態になれば、もはや高度の医療技術は空しいものとなります。この辛い状態にある患者さんに面と向かいあい慰め、共感するのも人としての医師の本質的な姿です。
 多くの医師にとっては高度な医療技術は勝利の喜びを感じ、終末期の医療には喪失感と敗北感が残ります。最近の技術は日毎に進歩しており、医療技術も例外ではありません。しかも技術が進歩するほど、それは細分化していきます。ひとつの新しい技術が生まれると、その専門医とか指導医などの敬称が付されます。例えば心臓だけでもさまざまな分野の専門医・指導医がうまれました。するとその専門医は自らの領域の診療に留まり、他の領域への関心を示さなくなります。例えば患者さんがささやかな質問をすると、それについては不整脈の専門家に相談してくださいと話題が広がらずに切ってしまいます。専門医指向が最近は日毎に強くなっているので、この傾向はますます強くなるでしょう。多くの病に悩む高齢者ほどあちらこちらの診療科を巡ることになります。
 一方、終末期を診る医師は患者さんの側に座って、手を握り、訴えを聞き、希望や慰めの言葉をかけるだけで、特に高度な医療技術は必要とは思えません。必要なのは患者さんの悲しみや悩みを聞きとろうとする共感の気持なのです。この共感を共有できるかどうかは医師の人柄によるところが、大きくて難しい。これができるには患者さんの予後を見通せる医師でなければ単なる慰めにすぎません。
 ここで印象に残っている実例をご紹介しましょう。ある民間団体の亡き主催者のご子息の手記です。この団体は患者さんが良き医療を受けるための情報提供と心構えを示し、医療機関へも良き医療へのための提案をしている独特の団体で、私が県医師会の理事であった時には、この方には講演や臨床実習などでお世話になりました。
 残念ながら数年前に胃ガンでお亡くなりになりました。大阪の病院に入院されていましたが、医療の手段がつきると専門技術の高い医師ほど患者さんから足が遠のきます。病気のみを診ているので、医療手段が尽きたので積極的治療がなくなったからです。ところがこの診療科には後期研修中の若い医師がいました。この医師が毎朝ベッドの傍らに座り、この方の話を聞き、人としての共感を示されるのみでなく、希望までを与えられたので、医療事情にくわしい母(主催者)もこの若き医師をもっとも信頼していたと手記で結ばれていました。この手記は医師の本質を鋭く示しています。最先端の治療も医師の仕事ですが、この若き医師の存在は医師という職業の出発点を示唆しているように思えるからです。 いま、医学部入学は難関で、試験に強くならなければなりません。塾・小学校時代から1点を争う環境のなかで育ってきた医師は、技術指向の強い専門医を目指すでしょう。 しかし病気だけを診る医師のみが増えるのは、これから増加する高齢者にとっては不幸なことです。医師という職業には、学業のみで判断できない適切な人柄が必要な気がします。医師とは患者の人柄を理解できる人間としての力量を高め、患者を理解でき、納得して貰える高度の説得力が必要なのだということを強調しておきたいと思います。

医学部入学後も塾・家庭教師?

 医師向けの週刊誌「医事新報」という雑誌がある。11 月14 日号の表紙をめくって驚いた。裏表紙のトップに掲載されている「ドクター家庭教師スクール」という予備校の広告に驚いたのである。内容をみると、医学部の定期試験、卒業試験、医師国家試験対策のための塾であり、家庭教師の派遣である。前月号で医学部入学への単線化を嘆いたが、この広告はそれどころの話ではない。医学部へ入っても塾なのである。医学部卒業は早くて24 才。この年齢まで家庭教師がついているとは想像もできない話である。
 昨日まで家庭教師がついていた医学生が、医師国家試験に合格すれば、翌日から医師として患者さんの前に立つのである。幼稚園から医学部卒業まで塾で育てられてきた医師が、果たして病に悩んでいる患者さんを理解できるだろうか。医師としての仕事は病める人の人格を理解でき、複雑多岐な性格を直感できる医師側の素養が求められる。塾・家庭教師という甘やかされた環境で育った医師に、病める人の苦痛を悟る素養が涵養されるのだろうか。疑問である。そしてこの事情は医師を選択できない患者さん方の不幸につながるのである。
 さらに医師になって数年後に迫ってくる専門医資格試験にも、塾・家庭教師の影がちらつくのではないかと恐れる。わが国の医学教育の片隅には危険な一面があることに、患者さんも気づいてほしい。

危うい?将来の医師像医学部入学への単純化

 今月号はすこし面倒な問題を取りあげました。近年、医学部への入学が難しくなり、幼稚園時代から医学部目指しての準備が始まったことが、将来の患者さんたちに与える影響を考えました。
 これを考えるようになったのは10年ほど前です。兵庫県にある有名進学校はその年に、東大医学部と京大医学部への入学者が50名弱、その学年の4割ほどが医学部へ進学したとのニュースでした。卒業生200人ほど。
本当に80人も医師を希望するのだろうかと不思議に思い、これが心に残っていました。
 医学部が難関になったのは昭和36年に国民皆保険制度が施行され、国民すべてが医療保険で安く医療を受けられるようになってからでしょう。それにつれて医師の生活の安定ぶりが社会の注目をひき、育児をする親御さんの憧れの職業になったと考えています。そのために最近では親御さんは幼稚園時代から医学部入学を目指して子供さんを鍛えられます。鍛える方向は試験に強くなることです。試験、試験で正解を狙い、高得点をとることが医学部入学への近道です。試験の正解はひとつです。
これが医学部入学への単線化ということです。
 ところが医師の仕事では正解はひとつではありません。複雑な人間相手の仕事です。正解はいくつかあると言えるでしょう。つまりひとつの正解ばかりを求める学校の秀才では、複雑な人間を果たして理解できる医師に成長できるのかという点が危ぶまれるのです。 秀才が医師になると、その説明を理解できない多くの庶民は困惑します。そうなると医師も患者さんの目を見るよりパソコンの画面を見ます。患者さんも私を見てくれないと思い、医師との距離感を覚えます。
 戦後、教育制度が改正される前の旧制高校では、大学の医学部へは理乙から進学しました。秀才は理甲へ入ったようです。理乙の進学先は医学部と農学部でした。そこで医学部の学生は理甲の学生に比べて「おいらは馬鹿だから」という意識があったそうです。このような意識で育った医師が患者さんに「薬をだしておきます」と言って、実は米を渡したという話しはしばしば聞きました。これは医師が患者さんの生活を把握しているからでしょう。同じ目線で見ているからできることです。
 インフォームド・コンセントという言葉をしばしばお聞きになるでしょう。日本語では「説明と同意」と訳されています。重大な医療行為をする前に、医師が患者さんに病状と、考えられる治療法を説明して、最後には患者さんが納得して自ら治療法を選択するという医療倫理です。ところが医師の説明をはっきりと理解できる患者さんは、絶無といって間違いないでしょう。すると選択は安易な楽な治療法の選択になります。その治療は正しくても、それが患者さんにとって最善のものであるかどうかは医師なら判断できます。秀才の医師は多くの治療法を提案するでしょう。しかし自らリーダーシップを発揮して、医師が最善と思われる治療法を勧めることはまずありません。責任がかかるからです。
 このように正解がひとつしかない世界で育ってきた医師が多くなると、複雑多岐な人間が理解できないので、医師ー患者関係がビジネスライクになってしまう危険性が将来はますます加速するでしょう。これがどのような影響を患者さんに及ぼすでしょうか。これを案じたのが本文の主旨です。
 最後に素晴らしい医師の言葉を紹介しましょう。
 ある高名な肝臓外科医の言葉です。患者側が術前にあれこれ心配な事柄を医師に訴えます。それに対する医師の言葉は「あなた方の心配は私の方でします。あなた方の心配は私にまかせてください」と。
 人工知能の医療が素晴らしく発達しても、この慰めの言葉は人工知能からは絶対に出てこないでしょう。

ジェネリック医薬品の安全性 メディアの情報から考える

 週刊新潮月日号の発売日は月日でした。この週の特集は「安かろう悪かろうが恐ろしいジェネリック(後発)医薬品の真実」という記事でした。
 医師であればその内容は推察ができます。皆さまのためにその記事の小見出しを記してみます。「虫の死骸や鉄くずが・・」ついで「漢方やバイオも危ない」さらに「原産国を明記すべき」などとなっています。要するに後発医薬品の危険性を指摘した記事です。私が驚いたのは翌8月21日の読売新聞一面トップの記事です.大きな文字で「後発薬の海外査察強化政府、派遣増員へ 安全確保普及図る」という記事でした。
 この新聞記事を読むと厚労省も後発医薬品の危険性を把握していて、週刊誌の指摘を追認して査察を慌てて強化するような印象です。
 厚労省の説明では後発医薬品の成分、効能や安全性は先発医薬品と同等だと説明しています。私たちへの説明と厚労省発表の新聞記事とは矛盾があるような感じになります。
 そこで後発医薬品について調べてみました。その基本資料は厚労省の下部組織である中医協のものです。
 先発医薬品とはこれまでにない薬のことです。この創薬のためにおそらく何千億円という費用が必要です。製薬会社はこの費用を回収するために10年から最長25年ほどの特許権があります。特許があると他の会社は同じ薬を作れません。特許が切れると他の会社も同じ薬を作ることができます。これが後発医薬品です。開発費が不要なので安価に作ることができます。ここまでは私も知っていました。
 ところが特許権喪失後に作られる後発医薬品はまだしっかりとした製薬業者なので、その保険薬価は先発の7割から5割程度です。開発費用が不要なのでそんなものだろうと理解できます。ところがその後に引き続いて二流、三流の会社までもゾロゾロと後発医薬品を作ります。この薬も医療機関で保険で使えると厚労省は許可します。最後には先発品が1錠100円とすると20円を下回る値段になってしまいます。私が数えたところある鎮痛剤などは80もの製薬会社から発売されていました。このような事情が分かると、後発品の一部には厚労省の説明と異なる粗悪な薬があるのではと疑いたくなります。 適当な例えではないかもしれませんが、例をあげて説明してみましょう。ハンバーグを例としてとりあげます。ハンバーグは挽肉にさまざまな材料(添加物)を加えて作ります。100円のハンバーグと20円以下のハンバーグは同じものでしょうか。この疑問が厚労省の説明に対する私たちの不信なのです。後発医薬品は特許権喪失直後の製品に留めて、安全な製品のみの供給にしてほしいものです。それによる国民的な信用が高まると後発医薬品の普及が進むでしょう。
 後発医薬品については倫理上の問題も指摘したいと思います。生活保護の患者さんには後発医薬品を使うことを行政は指導しています。倫理上の問題はここからです。西欧にはノブレス・オブリージュという思想があります。社会の高位にある人は、社会の苦難に対してはまっさきに解決する義務を負わなければという考えです。日本にもかつては同じ思想があり、太平洋戦争では皇族も何人か戦死しておられます。
 薬剤は一面では危険な副作用があります。したがって後発医薬品を強制するからにはそれを指示する高位の人々は、自ら後発医薬品を服用することがオブリージエ(義務)であろうと考えます。政府や行政の高官はその義務を果たしているのでしょうか。噂によると公務員の共済保険のジェネリック使用率がもっとも低いと聞いたことがあります。情報公開を迫られる前に自らの情報を公表することが、日本のモラルを示すことになるように思います。
 先発医薬品と後発医薬品の間には私が納得できないことがあります。これが私が心底から後発医薬品に不信をもっている点です。 製造した医薬品を保険薬として厚労省に認めてもらうには、申請資料を提出する必要があります。先発医薬品ではその申請書が20通にも及びますが、後発品では僅か3通に過ぎません。「効力を裏付ける試験」も不要なのです。
 医薬品は日常に常用する食物ではありません。病気の時だけに治療のために口に入れるのです。それだけに安全性と効能には私たちの信頼をえるだけの証拠を示してほしいものです。

密かに進行するCOPD

最近、しばしばタバコと関係する病気としてCOPDという言葉が新聞などで解説されています。この横文字の日本語訳も慢性閉塞性肺疾患と直訳で難しい言葉です。この日本語訳は病気の状態を説明しているように見えますが、病名なのです。この病気のほとんどの人はタバコを吸っています。タバコをたくさん吸う人ほどかかりやすい病気です。病気の始まりは坂や駅の階段を昇ることが同年齢の人より遅くなり、昇りきるとハーハー、ゼイゼイとした呼吸(労作時息れ)になります。これをほとんどの人は運動不足で体力が落ちたと解釈します。喫煙者の場合はこれがCOPDの始まりかも知れません。症状が軽いので、つい見逃してしまいます。この病気は重症になって始めて医療機関を受診されるようです。その証拠を厚労省は次のように説明しています。
 COPDの患者さんは日本には530万人ほどいると推定されるが、医療機関でCOPDと診断されている患者さんは23万人に過ぎないとのことです。100人の患者さんがいたらわずか4人しか医療機関を受診していないのです。だから軽視してよい病気ではありません。現在では年間の死亡順位は9位ですが、15年後の2030年にはこの順位が3位になるだろうと予想されているからです。
 このCOPDの原因はなんでしょうか。まずはほとんどがタバコです。ついで大気汚染による排ガスでしょう。ただ体質によってこの病気にかかりやすさの違いはあるようです。タバコの煙が口から気管に入ります。気管は右肺と左肺とに枝分かれします。さらに肺の奥に行くにつれて20回以上も枝分かれします。すると気管支の太さが小さくなっていきます。気管支の太さが2ミリほどになったところで、この煙で気管支の壁がやけど状態になります。タバコを吸うごとにやけどを作っていきます。すると気管支壁は腫れあがり、変形して空気の通り道を狭くしてしまいます。息を吸うときには肺はふくれるので、やけどしている気管支も広がります。それだけ空気が通りやすくなる。ところが息を吐くときは肺に外からの力(胸郭)も加わって肺を押しつぶします。するとやけどで腫れている細い気管支の空気の通り道は潰されて空気の吐き出しが悪くなり、奥の方に古い空気が残ってしまいます。一回の呼吸毎にこの状態が繰りかえされます。そうなると肺には吐き出されない空気が残るので、肺が次第にふくれて、延びきった風船のように弾力性が失われます。
 こうなると新鮮な空気が不足してくることは理解できるでしょう。それが最初に述べた症状である労作時息切れなのです。タバコを吸い続けると、この息切れは次第に強くなっていきます。最終的には会話や着がえなども自力ではできなくなり、酸素吸入が必要になります。症状の進行につれて咳や痰などが増えて,夜も眠れなくなります。更に「やせ」も加わります。
 この病気の診断をつけるには患者さんの経歴をくわしく聞きとることや、肺のレントゲン写真,さらに空気を精一杯吸いこんで,最後まで吹ききる肺活量測定や、吸いこんだ空気を1秒以内に吹ききるように努力する1秒量測定などが大事です。この検査(肺機能検査)は簡単なように見えますが、COPDの患者さんにはなかなかに厳しい検査です。また、聴診器で呼吸の音を聞きとることも必須です。
 この病気はいったん発病すると治癒することはありません。しかも次第に進行していきますが、治療すると自覚症状を軽くすることはできます。
 身近にありながら密かに発病しており、気がつけば重症になっている深刻な病気です。15年後には死因の3位になるであろうCOPDは煙草病なのです。これを予防するには直ちに禁煙するしかありません。
 禁煙医療も進歩しており、タバコをやめる決心さえすれば、禁煙も難しいものではありません。
 COPDのみならず肺がんの予防のために直ちに禁煙に取り組みましょう。

2 種類の肺炎球菌ワクチン

 北海道の冬は厳しいので、肺炎によって高齢の亡くなる方が多いのは想像できます。ところがニューモバックスというワクチンでその死亡が減ったので、保険財政が改善されたそうです。そのために北海道から東北地方まで自治体が積極的にこのワクチン接種をはじめました。これは 10 数年前の話しで、その有効性がたしかめられて、昨年 10 月からは法律上の定期接種に格上げされました。皆さまご存知の 65 才から 100 才までの 5 才きざみの接種です。
 肺炎球菌。恐ろしい名前ですが、実は我々の口の中、鼻などにいつもいる菌(常在菌)のようです。常在していても私たちに体力(抵抗力)があるかぎりは害をしません。ところがいったん病気などにかかり、体力が落ちると,チャンスとばかりに私たちに襲いかかり、治療の難しい肺炎をおこします。これが肺炎球菌肺炎です。したがって体力のない,赤ちゃんや高齢者に多い肺炎なのです。
 この肺炎予防薬がニューモバックスなのです。肺炎球菌には 90種類ほどのタイプがありますが、このワクチンは肺炎頻度の高いタイプに効くようにできています。5 年後でも最大効力の 80%ほどの力が残っています。数年前までは生涯に 1 度だけ打てばよいとされていましたが,6 年ほど前から確実な予防のために、最初の接種後 5 年を経過すれば 2 回目の接種ができます。当院でも 10 年ほど前から接種を開始しており、私はすでに 2 回接種しました。当院の経験では 200 例ちかく接種していますが、副作用の記憶はありません。
 最近、子供専用の肺炎球菌ワクチンであるプレベナールも高齢者に使えるようになりました。適応タイプは前者より少ないのですが、肺炎球菌そのものに対する効果があるようです。適応タイプでなくても効くということです。この 2 種類のワクチンの使い分けはまだ検討中のようです。私の考えでは、私の 3 回目はプレベナールになるでしょう。
 因みに接種補助金がでるのはニューモバックスのみです。

難しい医療用語『混合診療』

 混合診療という言葉は病院などではよく聞かれる言葉です。しかし、この言葉の内容を正確に理解するには、医療保険制度を理解する必要があります。
 医療保険は制度ですから、それなりに規則があります。医師が医療保険で診療をするためには、その規則を守ることが求められます。 医療保険の規則は初診から診察、検査、治療方法、薬剤、入院などあらゆる医療に関係することが条文で示されて、その対価(値段)まで決められています。この条文はA4判で2000 ページ,厚さ6センチほどの大部なもので「医科点数表の解釈」と名づけられており、私たちは通称「青本」と呼んでいます。保険医になることはこの分厚い契約書にしたがって医療を行うという契約行為なのです。契約相手は国と言ってもよいでしょう。国家と契約をして始めて保険医になれるのです。医療保険証を使うことができるのは医師が保険医になっているからです。
 国が規則を作るのですから、こまかなことまで決めています。例えば電話による相談はよいが、ファックスやメールでは駄目など実にこまかくできています。
 この規則に従い、診療を行い、月末に請求書(レセプト)を作成して、国の審査をパスしてやっと収入になります。
 さて、国と保険契約を結ばない医療もあります。これは医師が自分の考えによって、青本にとらわれずに自由に診療を行うので自由診療と呼ばれています。この場合はなんの規則もないのですから,診療費用もさまざまです。もちろん健保や国保などの公的な医療保険は使えません。すべて自費です。このようになんの規則もないのですから、自由診療の評価は玉石混淆と言わざるをえません。 この医療保険と自由診療を同時に使うのが混合診療です。今の制度では混合診療は不透明な部分が生じるので、原則禁止とされています。
 混合診療は原則禁止なのですが、国の都合や病院の事情で混合診療が許されている分野があります。病院の診療はどうしても費用が高くなります。だから国としては無闇に受診して欲しくない。まずは診療所を受診して欲しい。そこで病院受診が必要な人は紹介状を持って来院して欲しい。このような考えから,紹介状なしの初診の費用は病院で決めてよいとされています。規則で定められた初診料に加えて1 万円でも2 万円でもどうぞというわけで、この金額はきまりがないので自由診療なので混合診療になります。当市の医療センターではこの自由診療分の費用として、消費税込みで2160円を請求されているようです。また病院では患者さんのために贅沢な病室を提供しています。特に東京ではこの傾向が著明です。この設備では保険診療の入院分では赤字になってしまうので、自由に特別料金を請求しても違法にはならないという取りきめがあります。現在、国の財政は厳しくて、医療費を節約するために自由診療分を増やす、つまり混合診療の制限が緩くなりそうな気配です。
 混合診療禁止は本来は患者さんを守るためでしたが、次第にその主旨が薄れてきそうです。残念なことです。

難しい医療用語『レスパイト入院』

 このところ政府はしきりに在宅医療の推進を強調しております。それには減少する人口問題と深い関係があるのですが、今回はこれにはふれません。
 私が在宅での患者さんを多くみていた時期は、介護保険以前の2000 年迄でした。当時はほぼ30 人近くの在宅の患者さんを訪問診療で診ていました。その頃、感じていたことは、患者さんの辛さはともかく、看護・介護に当たった方たちの肉体的・心理的ご苦労でした。当時の私は患者さんよりも、その方の健康や心理状態が気になっていました。家族は多くても看護・介護は一人の方に集中する傾向があります。となると無期限に続く看護・介護で疲れきってしまいます。疲労が極度になると、その人の人間らしい心が失われます。これは当然の反応なのです。このことに気づきながら、一言慰めの言葉をかけるだけで何もできませんでした。
 このようなご苦労をしている人を救うために、レスパイト入院という思想が欧米から日本にも導入されてきました。レスパイトとは意味深い言葉ですが、英語で「中休み」という意味です。つまり重症の患者さんのお世話で疲れきっているので、その患者さんに入院してもらって、看護・介護に当たる人たちに一息ゆっくりとするお休みをあげようという考えです。
 この考えは、介護保険ではショートステイという方法で保証されております。医療保険は疾病の治療が目的なので、この考えが制度として確立はしていないようですが、運用の妙という印象はあります。
 国が在宅医療を進めれば進めるほど、このレスパイト入院の充実がなければ、看護・介護に当たる方々が無限のご苦労に苦しむことになります。

咳止めで治まらない咳

 今月は日常の普通の生活を送りながら、咳で困っている人へのアドバイスを考えてみましょう。したがって肺炎などの重症の方への話しではありません。
 最近の気候が不順のためか、風邪をひいたと訴えて来院される患者さんが多いようです。お話を聞いてみると、頭痛や鼻水、全身のだるさなどの感冒(いわゆる風邪)の症状はなくて、もっぱら咳が続くという訴えです。医師としては咳を治すためには、患者さんの話を聞くこと(問診)がとても大事になります。生活状況、発熱の有無やタバコなどは問診票を見るとして、私が聞きたいことは咳の強くでる時間です。日中か寝付く頃か、夜明けなのかということです。
 風邪以外に、日常で咳が強く出る場合がいくつかあります。まずはタバコです。咳を治めるには禁煙しかありません。次に最近、注目されているのが胃液が食道に逆流する逆流性食道炎です。これは胸やけの症状があるので、患者さんの話から容易に推察ができて、胃液を制御する薬剤で咳が治まります。薬といえば降圧剤のレニベースという薬は咳発作で有名です。この場合は薬をかえれば咳はなくなります。また、慢性副鼻腔炎(いわゆる蓄膿症)などでも咳が続きます。この場合は、耳鼻科で特別な抗菌剤を処方してもらえば咳はなくなります。発熱がある場合は、日常の生活ができないので、ここでは省略します。
 患者さんの訴えの特徴は日中よりも、布団に入って寝付く頃に咳が多い。また、夜明けに咳が出て、目が覚める。咳が強いときは起きあがって咳をする。この時は多少息苦しい時もあるなどが共通点です。実はこの訴えは気管支喘息の症状でもあるのです。ところが気管支喘息だと、夜が明けても症状は続きますので、診断は容易です。ところが多くの人は昼間はケロッとされています。そこで症状から気管支喘息と同じアレルギー症状から生じる咳と考えて、喘息と同じ治療をしてみると、その晩は眠れたと言われます。この時は敢えて咳止めは使いません。それでも咳はなくなります。このような症状を咳喘息と呼びます。最近、このような症状の患者さんが多くなりました。
 喉がイライラして咳が出る。喉になにか痰のようなものがへばりついていて咳払いをする。これらの症状もアレルギーによる咳喘息なのでしょうか。患者さんを診察していると判断に迷いが生じることがしばしばあります。そこでいつも思うことは、簡単にアレルギーと診断できる検査方法が欲しいと願っていました。
 ところが一昨年に願っていた検査が保険でできるようになりました。呼気(口から吐く空気)を手持ちの測定器に吹きこむことで、アレルギーか否かを判断できるようになりました。呼気に含まれる一酸化窒素を計測すると気管支の好酸球性気道炎症、つまり気管支にアレルギーのあることが証明されたことになります。好酸球とは白血球の一種でアレルギーと密接に関係しています。
 この測定器を入手したので、私が咳喘息かと考えた数人の患者さんの測定をしたところ、検査結果は私の考えを裏付けてくれました。ナイオックスと呼ばれるこの測定器でアレルギーの有無を確かめられることは、医師・患者さんともに大きな利益になります。原因が分かれば、治療が正しくできる。客観的な数字を知れば患者さんも信頼して治療が続けられることになります。喉のイライラも気管支が原因なのか、神経過敏なのか、はたまた蓄膿なのかなどの判断にとても有用です。また、診断だけでなく、治療の効果も判断できます。咳喘息の治療は基本的には吸入療法です。しかし、いきなり吸入療法では患者さんに抵抗があるようです。そこで薬を服用しながら、吸入療法に移っていくのが自然な治療経過のようです。
 咳喘息の30%ほどは放置しておくと気管支喘息にまで進んでしまうという説もあります。しっかりと治療しましょう。
 咳止めでは治せない慢性の咳の分析をして、その中心に位置する咳喘息について解説をしました。

高齢者年齢の先延ばし

 現代の社会現象の一つに、高齢化社会という言葉があります。では高齢とは何歳からでしょうか。これには法律上の定めはありません。その証拠に自動車につける高齢者運転標識票は70 歳からであり、医療保険は65 歳から74 歳までは前期高齢者と呼び、75 歳からは後期高齢者としています。WHO では65 歳から高齢者としているようです。また一般社会では60 歳定年、65 歳まで再雇用されるので、事実上は65 歳から高齢という認識でしょうか。
 一昔前までは65 歳を越えた高齢者は老人といっても、誰も文句は言いませんでした。ところが今の社会では、65 歳の女性に老人といえば怒られてしまいそうです。私の感ずるところでは、今の60 代半ばの女性がもっとも元気な世代のように見えます。登山する人やスポーツに興じる人、さらには海外へ友だちと気軽に出かける人など珍しいことではありません。元気なものです。今の日本の豊かさを背景に生活を享受している幸せな世代という印象です。
 この世相のなかで、医学の世界でも高齢者年代の見直しが始まるようです。今月に開催される学会で、高齢者とは何歳からかという討議が始まります。何が討議されるかは後記をお読みください。この見直しは医学・医療のみならず、実は切実な社会的要請に対して、学会が先鞭をつけたという印象を私は持っています。一学会の小さな討議ですが、その持つ意味は計り知れないほど大きいと私は考えています。
 今、日本の抱える大問題は少子高齢化という言葉で象徴されています。言葉を換えれば20 〜 30 年後の日本の社会は維持できるのかという問題です。この問題の根底にあるのは労働人口の減少なのです。その状況のなかで医学の世界から仮にでも「人間は70 歳までは普通に働けますよ」というメッセージが発信されたら、社会に激震をもたらすでしょう。私が調べたところでは65 才以上70 才までの人口は869 万人になります(平成25 年度総務省統計局)。これらの一千万人ちかい人々が現役に復帰できたら、日本の社会が抱えるいくつかの問題は解決するでしょう。しかし新たな紛争のもととなる問題も持ちあがるでしょう。例えば、年金の問題です。これは世代間の紛争をもたらすことが予想されます。しかし現状では年金は破綻せざるをえないと思われます。若い人々は年金に対して信頼感を失っています。この問題を解決するためにも高齢者の年代を現状に合わせて引きあげることは、日本の将来のためにも重要な決断でしょう。
 日本の社会を今後も堅実に維持するためには、この問題は社会での議論が必要になりましょう。

手術を受けるにあたって

 私が医師になってまもなく静岡に赴任しました。そこで医師としての初任教育を受けましたが、その時の指導医S先生のおかげで今でも医師として生活ができていると信じています。
 いま、群馬大学病院や千葉がんセンターなどで内視鏡による死亡例の多いことが報道されています。これらの記事を読みながら、私は50 年前のS先生からの教えを思いだしました。
 盲腸(虫垂)の手術を例にとっての教訓です。当時、患者さんの間ではお腹についた手術の傷跡が短いほど、手術が上手だとされていました。また麻酔も背中に注射していました。
 S先生は安全な手術のためには傷跡の見栄えよりは、盲腸の付近が広くしっかりと見える視野(手術野)を得ることのできる切開創が必要だと教えてくださいました。また麻酔も腰の注射よりも皮膚に注射する麻酔(局所麻酔)の方が安全だとも言われました。
 この考えは今でも手術をもっとも安全に行うための原則でしょう。ところが患者さんの立場にたつと、手術創は小さい方がよい、入院期間は短い方がよいなどを望みます。 患者さんにとってもっとも重視すべきは安全な手術であり、これは患者さんの希望と二律背反の関係にあります。今の優れた技術が、この厄介な問題にどのように折り合いをつけるのかが、患者さんの運命に関わることになります。
 手術の前に患者・家族に対して、手術についてのくわしい説明(インフォームド・コンセント)が行われます。これは法律(医療法)で定められている手順です。ところが、医師の説明の内容を患者側が本当には理解できるのは不可能だと私は考えています。全く馴染みのない専門的知識を素人である患者さんが1 時間そこらで理解するのは無理だからです。しかし承諾・押印しないと手術は始まりません。
 さて、ここからが本稿の主旨です。群馬大学も千葉がんセンターも手術については、傷跡が小さいとか入院期間が短いというような気楽な説明のみであったようです。患者さん側はきちんと説明をしてもらうことが手術の安全性につながります。説明の多くを理解できないのは当然です。しかしこの手術はどの程度安全なのか、また手間はかかっても、傷跡は大きくても、より安全な手術はないのかなどに焦点をしぼって、説明会に襟を正して臨まれると、安心感・覚悟などの気持が整理できるでしょう。 インフォームド・コンセントの本来の意味は「きちんと情報を与えてください。それで同意できれば承諾します」という患者さん側の言葉だと私は考えています。
 手術は生命をかける重大な治療行為です。それだけに患者さん側も手術の安全性については、医療側に真剣に質問してください。その観点からの質問ならば、医療側も真剣に応えてくれるでしょう。

目玉焼きにしましょう

 フライドエッグを日本語にすると目玉焼きです。卵2コ使って目玉を連想するので目玉焼きです。ところが近年の日本では、卵1コの目玉焼きが普通になりました。卵はコレステロールが多いので、それが原因で成人病になりやすい。それを避けるために卵は1コで十分だという常識が広がり、卵焼きも片目になってしまいました。
 ところが先月にアメリカの諮問委員会がコレステロール摂取量と血液検査でのコレステロールの値は関係がないと発表しました。つまり食事の際に、これはコレステロールが高いから避けようなどの心配は不要だとのことです。そこで新聞は大きくこのことを報道しました。ところが日本でも昨年春に厚労省がまとめた生活習慣病予防のための食物摂取基準量から、コレステロールは外されていたそうです。このことを私は知りませんでした。この事実が日本では大きく公表されたのでしょうか。
 アメリカでも、コレステロール摂取を押さえると炭水化物(糖類や澱粉など)の多い食事が増えて、肥満患者が増えた事実があるようです。コレステロールを押さえて、かえって成人病が増えてしまったという反省です。
 実は、日本の従来からの研究でも今回のアメリカの発表と同じような成績でしたが、いつのまにかコレステロールを悪者視する傾向が世間に広まりました。ところがコレステロールは悪者ではなく、生命に欠かせないステロイドホルモンの骨格や細胞膜の構成分子で、とても大事なものなのです。
 私は工場で人為的に作られた食品は別として、昔から食されていた食材に「よい食べもの」とか「悪い食べもの」と区別することに異和感があります。昔から続いている食材は人が好んだから続いて食されているのでしょう。今回の報道にコメントを求められた高名な医師は「海草はよい食品だから、是非とも食べるように」とコメントしていました。まるで栄養士さんのコメントのようでした。「コレステロールの呪縛から逃れて楽しく食事をしてください。そしてコレステロールが病的に上昇すれば、きちんと医療を受けましょう」と人の生活全体を見たコメントが欲しかったと思いました。
 コレステロールが上昇するのは生活習慣の悪さではなくて、病気なのです。この時はしっかりと治療してください。そして日常の生活では栄養に富んでいる卵を片目ではなくて、フライドエッグの日本語訳のように目玉焼きで楽しんでください。何でも楽しく、あれこれと食べて元気に暮らしてください。

救急医療とは… 患者の立場・医療側の立場

 つい先日の外来で、ある女性がいくらか憤慨した気配で訴えられました。「孫が突然、39度の高熱が生じたので、医療センター救急へ連れて行ったら受けてもらえなかった。救急を診ないなんて、どんなものだろう」との不満をこめた話です。そこで私は次のような解説をしました。
 お孫さんに突然39 度の高い熱が出たら、家族が心配されるのは当然でしょう。それでこれは救急だと考えて、救急受診をされたのはよく理解できます。ところがあの日は近江八幡ではインフルエンザが大流行した日で、100人ほどの患者さんが医療センター救急を受診されたようです。だから順番待ちでも何時間もかかったでしょう。だから断られて立腹されるのも当然でしょう。
 しかし一方で医療側から、この問題を考えてみましょう。医療センターの救急の正式な名称は「救命救急センター」であり、三次救急の使命が課せられています。三次救急施設とは、患者が施設到着と同時に治療にかからなければ、命が危ない人のためにある施設です。したがって三次救急では救急車が到着すれば、その患者が優先的に治療されることになります。重症であれば、施設のスタッフ全員がその方の治療にあたります。そうなると待合室で順番を待っている人への診療は一時中止になり後回しになります。人の命を救うための治療が優先されます。したがって新しい患者の診療を断ることもありますが、これはやむをえないことなのです。
 ここまで説明すると、その祖母に当たる人も納得されて、「かんかんに怒っているお祖父ちゃんにも、そのように説明します」と申されました。
 大事なのは平時に救急医療の意義をよく説明をして理解しあうことなのです。緊急の際は、お互いに興奮状態にあるので理解できないと考えて当然でしょう。市の広報などによる繰りかえしの説明はとても重要です。
 国は救急医療を3段階に分けて考えています。
 まず一次救急( 初期救急)です。これは今回のインフルエンザのように入院や手術の必要のない病気への対応です。もっぱら夜間や休日の際の高熱や腹痛、怪我などが対象になりましょう。当市の休日急患診療所がそれに当たります。
 ついで二次救急です。外来だけでは心配なので入院をして治療しましょうというイメージです。夜間や休日に備えて当番を決めておこうというレベルです。
 そして三次救急ということになります。
 今度のインフルエンザ流行は本来は一次救急、重症者は二次救急という制度がしっかりしていると、今回の大混乱はいくらか軽減したのでしょう。しかし今後も突然の大流行では、混乱は覚悟しておく必要があります。


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医療法人社団 折田医院
診療科目:内科、呼吸器科、循環器科